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縣居通信


【縣居通信9月】
“県門の十二大家”と呼ばれた賀茂真淵の優れた門人たち・・・・1
 340人を超える賀茂真淵の門人の中には、『古事記伝』で有名な本居宣長をはじめ、優秀な者も数多くいました。“四天王”と呼ばれた加藤千蔭(かとうちかげ)、村田春海(むらたはるみ)、加藤宇万伎(かとううまき)、楫取魚彦(かとりなひこ)、また優秀な女性門人で“県門の三才女”と謳われた、油谷倭文子(ゆやしずこ)、土岐筑波子(ときつくばこ、進藤茂子)、鵜殿余野子(うどのよのこ)などが有名です。
 さらに、真淵には“県門の十二大家”と呼ばれた優れた門人たちがいました。“県門の十二大家”とは、冒頭で紹介した本居宣長、そして四天王の4人、さらに7人の優秀な門人を加えた12人になります。その7人とは、荒木田久老(あらきだひさおゆ)、村田春郷(むらたはるさと)、栗田土満(くりたひじまろ)、小野古道(おのふるみち、長谷川謙益)、橘常樹(たちばなつねき)、日下部高豊(くさかべたかとよ)、三島自寛(みしまじかん、景雄)です。“県門十二大家”のうち、これまであまり取り上げられなかった門人たちを紹介します。

【荒木田久老】(1746~1804)
 本姓は度会。従四位下。京都に遊学した後、江戸に出て、明和2年(1765)20歳の時、賀茂真淵に入門しました。28歳の時、荒木田久世の養子となり、伊勢内宮権禰宜に補せられました。天才肌の久老は、大胆で細かいことにこだわらない性格で、日々遊興しながらも、研鑽を怠らず著作を行っていたといわれています。主な著作物に『竹取翁歌解』『万葉考槻乃落葉』などがあります。

【村田春郷】(1739~1768)
 江戸の豪商で干鰯(ほしか)問屋と質両替商を営んでいた国学者、村田春道の子、村田春海の兄。古書をよく読み、古風の歌を詠みました。特に長歌に優れていました。また蹴鞠(けまり)がうまく他の人の追随(ついずい)を許さなかったといわれています。春郷の歌は単なる古歌の模倣(もほう)ではなく、独自のものとして詠んでいて、真淵の上代主義を見事に実践したと評価されています。享年30歳と若くして逝った才能豊かな春郷を惜しみ、真淵は、みずから墓碑の文を書きました。

【栗田土満】(1737~1811)
 遠江国城飼郡平尾村(現静岡県菊川市)の神官の家に生まれました。明和4(1767)年に江戸に出て賀茂真淵に入門、真淵の没後は本居宣長に入門しました。万葉調の歌人として名を残しています。著作には「神代紀葦牙(あしかび)」、歌集に「岡屋歌集」などがあります。
※栗田土満については、縣居通信7月号でエピソードを交え詳しく紹介しています。