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縣居通信


【縣居通信12月】
国学者が著した伝奇小説~建部綾足が介した出会い~
 夏になると怖い話を聞く機会が増えますが、江戸時代にも怖い話を集めた本が流行しました。真淵の国学の流れを汲む二人の作者の作品を紹介します。

 まず、真淵の門人の建部綾足(たてべのあやたり)の『西山物語(にしやまものがたり)』です。実話を題材に、武家社会の若い男女の悲恋を描いたものです。簡単にあらすじを紹介します。京都に住む武士大森七郎は、先祖が奉納した刀を取り戻して以降、様々な怪事に遭いますが動じなくなります。そのうち、妹と従兄弟の息子が恋仲となり、七郎は従兄弟に両者の結婚を申し出ます。しかし、拒否され、怒った七郎は妹を斬り殺してしまいます。その後、殺された妹の亡霊が従兄弟(いとこ)の息子の夢に現れるようになったことから、従兄弟は両者の結婚を拒否したのは占者が不吉を告げたからだということを明らかにします。そして、両家は和睦して栄えるという、ハッピーエンドで終わる話です。武家的な道義観念を前面に出して伝奇小説に仕立てたものです。『西山物語』の題名は、事件の舞台を西山としたことからきています。

 もう一つが、県門の四天王の加藤宇万伎(かとううまき)の弟子、上田秋成(うえたあきなり)の『雨月物語(うげつものがたり)』です。これは、亡霊との論争、幽霊となった妻との再会等、日本・中国の古典から脱化した怪異(かいい)小説9篇から成ります。うまく原典の白話小説(はくわしょうせつ)(中国において、より話し言葉に近い口語体で書かれた文学作品)の調子を翻訳し、漢文調と和文調の織り交ざった独自な文体となっています。秋成は、宇万伎から『土佐日記』や『源氏物語』、『古今集』の講義を聞いていましたし、真淵の『万葉考』を写したり、契沖(けいちゅう)の研究をしたりもしていました。その関係で、『雨月物語』は『万葉集』や『源氏物語』の影響を深く受けています。ちなみに『雨月物語』、この題名はどこからきたのでしょうか。秋成自身の序文には「雨がやんで月がおぼろに見える夜に編成したため」と書かれていますが、物語中、怪異が現れる場面の前触れとして、雨や月のある情景が積極的に用いられていることにも関係しているようです。

 秋成に宇万伎を紹介したのは綾足です。それは、宇万伎が和漢双方に通じ、漢詩の作も残しており、音韻などにも詳しかったからだと言われています。宇万伎の死後、秋成は大坂から上京して遺品整理をした後、遺髪を江戸にいる宇万伎の妻に送りました。綾足の紹介がなければ、国学の一つの道筋が失われていたかもしれません。しかし、皮肉なことに、秋成は綾足のことを快く思っていませんでした。そのため、綾足の『西山物語』完成後、すぐに『雨月物語』を著したとも言われています。

<参考文献>「賀茂真淵の業績と門流(井上豊)」