【縣居通信1月】
近世国学者の個性的な蔵書印の世界
現在より遥かに本の価値が高かった江戸時代には、その本(版本や写本)が自分の所蔵品であることを示すために「蔵書印」を押していました。「蔵書印」があることで大事な本の紛失も防げたのではないかと思います。
日本最古の蔵書印は奈良時代(648年~781年)の聖武天皇や光明皇后が使用したとされています。江戸時代以降は、出版物が増えたことに伴って、多種多様な趣味性の高い蔵書印が作られるようになりました。
◇賀茂真淵の蔵書印
賀茂真淵は右のような蔵書印を使っていました。少し変わったデザインですが、神代文字(じんだいもじ)を使っているとされています。神代文字とは、日本に漢字が渡来する以前から存在したとされてきた文字のことです。特に江戸時代中期から国学者の中には、その存在を主張する者がいました。残念ながら現代ではその存在は否定されています。ちなみに、国学者で四大人の一人契沖も真淵と同様に、神代文字の蔵書印です。
◇本居宣長の蔵書印
宣長の場合は「鈴屋之印」です。「鈴屋(すずのや)」は宣長の書斎の名前です。この書斎には、柱掛鈴が掛けられていてその鈴にちなんでいます。また、「鈴屋」は、宣長の屋号として蔵書印のほかに、家集の表題や、帳簿の裏表紙などにも使用されました。
◇本居大平の蔵書印
本居宣長の養子となった本居大平は、雅号を藤垣内(ふじのかきつ)と名乗っていましたので蔵書印は「藤垣内印」となっています。
◇平田篤胤の蔵書印
平田篤胤は号を「大壑(だいがく)」と名乗っていましたので名前の前に「大壑」をつけて「大壑平篤胤印」を蔵書印としていました。ちなみに「大壑」とは、大きな谷のこと、または、海のことを表します。なお、当時、平田篤胤は「平篤胤」と名乗ることがありました。
◇その他の国学者の蔵書印
<参考>
・国立国会図書館 「蔵書印の世界」
・本居宣長記念館 宣長ワールド資料
・国文学研究資料館 蔵書印データベース