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縣居通信


【縣居通信7月】
真淵の弟子 内山真龍が著した有名な作品は?
 内山真龍の学問は、言うまでもなく国学ですが、その特色は、実地踏査(とうさ)を主としたものでした。生活に役立つ国学を形成し、庶民文化向上に資したことも功績にあげられます。同じ門人でも、橘千蔭(たちばなのちかげ)や村田春海(むらたはるみ)ら江戸派の人々とはかなり異なっていました。真龍の著作は34部121巻もありますが、次の三つが特に有名です。
 一つ目の『出雲風土記解(いずもふどきかい)』は『出雲風土記』を補訂注解したもので、48歳の時に成立しました。この実地調査の旅日記が『出雲日記』です。この『出雲風土記解』は、地理学者・測量家(そくりょうか)として有名な伊能忠敬(いのうただたか)も書き抜きをしてとてもほめています。
 二つ目の『遠江国風土記伝(とおとうみのくにふどきでん)』は遠江国の山川・古跡・伝説などを詳しくまとめたものです。題簽(だいせん)(和本などで書名などを書いて表紙に貼る小さな紙)には、『遠江風土記伝』とありますが、内題(書物の本文の始めとびらに書いている題目)に『遠江の国風土記伝』とありますので、それが正式名称となります。“伝”とは経書などの注釈書のことです。遠江国十三郡(浜名・敷地・引佐・麁玉・長上・磐田・豊田・山香・周智・山名・佐野・城飼・榛原)を一巻ごとに、郷村・山川・古跡・石高・伝説などがまとめられています。門人の手も借り、識語(年号、書写の事情などを書きつけた、昔の本の奥書)によると、10年もかかって、寛政十年(1798)真龍59歳の時完成しました。幕府勘定奉行(かんじょうぶぎょう)中川飛騨守忠英(ひだのかみただてる)に献上され、一橋徳川家などに写筆されました。明治時代になって活版印刷され、人々に大いに利用されるようになりました。

 三つ目の『日本紀類聚解(にほんぎるいじゅうかい)』は『日本書紀』を神系・諸人・謡歌・地名などに分けて注解したもので、73歳の時に成立しました。特に武烈天皇暴虐弁(ぶれつてんのうぼうぎゃくべん)は有名で、現代の学界にも生きています。光格天皇(こうかくてんのう)に献上(けんじょう)され、天覧(てんらん)を得ました。本居宣長の『古事記伝』につぐものですから、喜びも一入だったことでしょう。。この展覧によって号も“奉国史翁”とし、「長浜の浦の芦田鶴千代ふとも雲ゐまでとはおもはざりしを」と詠み感激しています。