【縣居通信5月】
真淵が生涯をかけて研究を重ねた『万葉集』
『万葉集』の研究としては、鎌倉時代に仙覚が今まで読めないままになっていた歌に訓点を施し、片仮名で読み下し文を書き入れた『万葉集註釈(まんようしゅうちゅうしゃく)(1269)』を著しました。江戸時代に入ると、印刷技術が発達し、『万葉集』は木活字本として刊行されるようになりました。松尾芭蕉の俳句の師匠である北村季吟は、『万葉拾穂抄(まんようしゅうすいしょう)(1686)』を著しました。これは、『万葉集』のすべての歌を注釈した最初のものです。同時期に徳川光圀の命により水戸家に招かれた契沖が『万葉代匠記(まんようだいしょうき)(1690)』の初稿本と精選本を完成させました。この書名には、未完成のまま亡くなった親友、下河辺長流(しもこうべちょうりゅう)に代わって記したという意味が込められています。
契沖の影響を受けつつ、古道学としての国学の性格を樹立したのが荷田春満でした。そして、契沖の実証的方法と春満の直観的・批判的な方法を受け継いだ賀茂真淵は、『万葉集』研究の第一人者として、自らの作歌にも万葉調の復活を目指し、『万葉集』の枕詞を五十音順に並べた『冠辞考(1757)』や『万葉集』の注釈をした『万葉考(1768)』を著しました。これによって、古代の歌集としての『万葉集』は、近世和歌の革新にも大きな影響を与えることになりました。
真淵の弟子たちも真淵の遺志を引き継いで『万葉集』の研究を行いました。本居宣長は『万葉考』を補訂した『万葉集玉の小琴(1779)』を著しました。橘千蔭は、真淵や宣長らの説を中心に多くの説を平易な語り口で取り入れた『万葉集略解(まんようしゅうりゃくげ)(1800)』を著しました。実は、夏目漱石は『万葉集略解』を読んで『万葉集』の歌を『草枕』執筆の材に用いてます。この『万葉集略解』は『万葉集』の入門書として多くの読者を獲得しましたが、漱石もその一人でした。
成立から困難を乗り越えた『万葉集』ですが、注釈を読むと1300年の歳月を感じさせないほど、各々の和歌の作者の心情が伝わってきます。すべては真淵たちのたゆまぬ努力によるものなのです。
参考:『國史大辭典(吉川弘文館)』『やさしく読む国学(戎光祥出版)』『国文学研究資料館』
