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縣居通信


【縣居通信10月】
“県門の十二大家”と呼ばれた賀茂真淵の優れた門人たち(2)
 前号に引き続き“県門の十二大家”と呼ばれた賀茂真淵の優れた門人の中の残り4人を紹介します。その4人とは、小野古道(おのふるみち、長谷川謙益)、橘常樹(たちばなつねき)、日下部高豊(くさかべたかとよ)、三島自寛(みしまじかん、景雄)です。
【小野古道】(1697~?)
 内山真龍の日記に、小野古道は「遠江天竜川□川袋出身。鍼醫八丁堀こんや町」(小山正著『賀茂真淵伝』より)とあり、遠江(現在の静岡県西部地方)の出身であると思われます。古道は、壮年になって失明し、その後は鍼医となって江戸に暮らしました。賀茂真淵の江戸での最初の門人といわれています。和歌に優れ万葉調と古今調を兼ね備えた典雅な作風に特色があります。

【橘常樹】(1704~1763)
 土佐(現在の高知県)の人です。賀茂真淵に入門し、加藤枝直、加藤(橘)千蔭らとともに『冠辞考』の版下を浄書(清書)しました。著作に『古今集仰古解』があります。
 『家茂翁歌集雑』に「常樹は、土佐の国の人にて、妻もなくて、年頃、江戸に来りて、独住みけり。古今集仰古解といふもの、二十巻を作り、又歌文などもあまた有しを、皆盗にとられてあらずなりぬ。宝暦十二年十一月十九日、酒飲てふしたるが、其儘みまかりにたり。年は五十九にてぞありける。」とあります。

【日下部高豊】(1704?~1767)
 江戸の生まれ。本姓は今荘、通称は貞右衛門、号は道堅。賀茂真淵の古参の門下となります。死後に歌集『山のさち』がまとめられました。

【三島自寛】(1727~1812)
 江戸日本橋の幕府御用呉服商。賀茂真淵の門下に入り、荷田在満(かだのありまろ)らとも交流がありました。安永9年(1780)に「角田川扇合(すみだがわおうぎあわせ)」を主催しました。名は景雄、通称は吉兵衛、別号に方壺があります。和歌を好み、晩年に剃髪して自寛と号しました。安永8年(1779)に、幕府御用呉服商の茶屋(中島)四郎次郎延貞が建立した石浜神社鳥居(現在東京都荒川区)銘の撰文と書は、三島景雄(自寛)の手によるものです。著書に『煙経』があります。