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縣居通信


【縣居通信12月】
幕末に万葉仮名で歌を詠んだ八木美穂(やぎよしほ)
 八木美穂は、寛政13年(1800)、掛川市浜野に生まれた幕末の国学者で歌人です。5歳で「考経」を読み、6歳ごろから俳句・和歌をつくり、10歳ごろには、賀茂真淵の直弟子の栗田土満(菊川市)から本を借りて勉強したといわれる神童で、20歳のとき、本居宣長の高弟で、白須賀宿(湖西市)の夏目甕麿(なつめみかまろ)に入門しました。
 甕麿の亡き後は、独学で国学を学び、100冊近くの本を書きました。46歳のとき、横須賀藩の藩校「修道館」の教授となり、51歳で教授長を務めました。
 生涯を故郷の浜野村で過ごし、子弟の教育に大きな役割を果たしました。
 現在、展示中の34『中林詠草(ちゅうりんえいそう)』は、八木美穂の歌集です。「中林」は、美穂が横須賀藩の藩主からいただいた屋敷の名前の中林館に由来する号です。

展示中の『中林詠草』では、「冬歌」として万葉仮名で書かれた3首の歌を見ることができます。

●落葉埋水
黄葉の散りて積れる山の井は掻別けて汲む人だにもなし
里遠み水草生ひてし山の井は木葉さへこそ散りかくしぬれ

●網  代
もののふの八十宇治人は早き瀬に幾夜網代を守りあかすらん
もみぢ葉の流るる見てや宇治人は網代うつらむ冬かたまけて
※宇治川の網代は有名。鮎の稚魚を捕るために水中に杭を打ち、それに竹を並べて簀(さく)を付ける。稚魚は上流より流れて来て、簀の上に乗る。

●枯野眺望
友並めて吾が見し野辺は枯過ぎて芽子(はぎ)の小枝に霜置きにけり
鶯の春を待つとふ百済野は禁野(しめの)乱れて霜に枯れたり