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縣居通信


【縣居通信11月】
平田篤胤 本居宣長門下 入門秘話 「夢中入門」とは?

 国学の四大人の一人である国学者平田篤胤。その本居宣長門下への入門方法こそが前代未聞の「夢中入門」だったのです。
 当時、師匠の門人になるには、当然のことながら、師匠の許しを得て、さらには入門の誓約書を提出して許可されていました。例えば本居宣長が賀茂真淵に入門するときには「宇計比言(うけひごと)」という入門誓約書を提出して入門が許されています。また、本居宣長も入門にあたっては、「入門誓詞(にゅうもんせいし)」を提出させていました。「入門誓詞」は敬神や法令遵守など宣長の平生の教えを具体化したもので、それを誓うというものでした。このように、入門するということは、単なる口約束ではありませんでした。

 しかし、平田篤胤は本居宣長の没後に入門したとされていて、その入門の方法が「夢中入門」だったのです。篤胤は、文化2年(1805)に宣長の実子である春庭に宛てた書簡の中で次のように語っています。

 先生がご存命の時にはお名前も知らず、同じ時代に生まれながら先生の門弟になれなかったことが残念でなりませんでした。そうして悔やみ続けていたところ、不思議なことに昨年[文化元年(1804)]の春に見た夢の中で、宣長先生と師弟の契りを交わしました。これは私が先生を慕う気持ちを察してくださったご配慮だとありがたく思っております。・・・・
 また、篤胤はこの「夢中入門」の様子を絵師に描いてもらっています。現在、渡辺清という絵師が描いて春庭が賛を添えた「夢中対面図」が東京都渋谷区にある平田神社に残されています。

 平田篤胤はこの他にも、幽界研究に大きな関心をもち、幽界に往来したと称する少年や別人に生まれ変わったという者に会って話を聞き、幽界について研究した書物なども残しています。

 賀茂真淵と本居宣長は、古道思想を持ちながらも、幕府政治を肯定していました。それに対して、その二人の重んじた歌学よりも古道思想に重きを置いた篤胤は、地方の神官や村役人層に信奉され、やがて幕末における尊皇攘夷運動につながっていく幕末思想界に大きな影響を与えました。