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縣居通信


【縣居通信5月】
和歌を詠むことが「国学」の最重要課題だった!?
 「歌意考」は、賀茂真淵の歌論書で、巻末に「明和のはしめつかた加茂の真淵が老いのふでにまかせて書る也」とあるので、明和元年の成立とされています。その冒頭で、
 「あはれあはれ、上つ代には、人の心ひたぶるに、直くなむありける。心ひたぶるなれば、なすわざも少なく、事し少なければ、いふ言の葉もさはらなざりけり。しかありて、心に思ふ事ある時は、言に挙げてうたふ。こをうたといふめり。」
と述べています。
 要約すれば、「ああ、上代においては、人の心は素直で、素直なゆえに行動も少なく、行動が少ないから言葉による表現も複雑ではなかった。心に思いがこみあげ感動すると、それを言葉にしてうたう。これこそ歌といったのである。」と言っています。  歌意考では、純朴な上代人の心と結び付けて歌の成立を説き、美しい文体で、「上代の歌の価値と復古の要」、「万葉習学の勧め」、「万葉と古今の学び方」の三つに分け、和歌の本質や理想、古風古学の意義、その学習過程を説いています。
 真淵は、儒教や仏教が伝わる以前の日本の心を取り戻すためには、歌をたよりにして学び、古の心に還らねばならないと主張するのです。
 「松坂の一夜」で真淵の門人となった本居宣長は、晩年の国学入門書である「うひ山ぶみ」で、「すべて人はかならず歌をよむべきものなる内にも、学問をするものはなほさらよまではかなはぬわざ也、歌をよまでは古への世のしくはしき意、風雅のおもむきはしりがたし」と歌を詠むことの重要性を説いています。
 つまり、歌を詠まないと、古い時代の人々の心や風雅はわからないと主張しています。この教えに従って門人たちは歌を詠みました。和学や国学を志すものにとって歌は必須の条件となり、江戸時代後期に多くの歌人が世に出ました。
 歌を詠む中で、古代の文字遣い、古語や言葉に対する考えについて日本人を見つめ直そうとした国学者たちについて、国学や歌人の研究者、中沢伸弘氏は、著作「やさしく読む国学」の中で、「日本特有の言語を研究することから、日本語をはじめ日本人を見つめ直そうとしたのです。言語は民族特有の文化にほかなりません。その言葉で歌や文章を作ることが、国学の一つの教養とされました。」と書いています。
 真淵が言葉の研究を進め、五十音表をもとに語法を示し、門人の本居宣長たちがそれを改良するとともに、古代の仮名遣いの清音・濁音を研究し「古言清濁考(こげんせいだくこう)」を著した遠江の門人石塚龍麿や歴史的仮名遣いを研究し「古言梯(こげんてい)」を著した江戸の門人楫取魚彦(かとりなひこ)など、幾多の国学者たちが、歌を基にして始まった国語研究をさらに進めていったのです。このことが、現代の国語のもととなったと言っても過言ではありません。