メールでのお問い合わせはこちらから

お問い合わせ

縣居通信


【縣居通信9月】真淵翁のお墓、品川東海寺の大山墓地を訪ねて
          ~お墓に見られる方円論~
 明和6年(1769年)10月30日、賀茂真淵翁は、日本橋浜町の「縣居(あがたい)」と名付けた家で、73歳の生涯を閉じました。来年2019年は、真淵没後250年にあたります。
 弟子たちは、生前の真淵の言により、品川東海寺少林院後山に埋葬しました。この時の墓所は、江戸名所図会(ずえ)に描かれており、没後、多くの人々が訪れたと想像できます。
 現在の、大山墓地は、明治15年(1882年)、東海道線の開通によって移転したものです。この時、鳥居や周囲の壁が整えられました。品川駅から京浜急行の各駅停車で川崎方面へ2駅「新馬場(しんばんば)」で降り、駅から西へ山手通りを、左に東海寺、右に品川消防署、品川学園を見ながら進みます。東海道線のガードをくぐって右に折れ、線路沿いに進んだところにあります。徒歩10分ほどです。
 真淵の墓は、お寺の墓地なのに鳥居があり目立ちます。これは、明治期に神道そして国学者たちを大切にした明治政府の方針が影響していると思われます。それ以上に心に残るのは、真淵の墓の形状です。丸い石で周囲を築き、中央に丸四角と言い表せばいいのでしょうか、柔和な印象の自然石が据えられています。(下写真↓)
 この角のない丸い石には、真淵の著書や書簡に述べられている「方円論」が反映されていると考えると納得がいきます。
 これは、方(けた)つまり角張っていること(人為)と、円つまり丸いこと(自然)を対比し、人為ではなく自然によるべきであり、円こそ大切と説く考えです。
 墓の周りには、真淵に子どもの頃から教えを受け、すぐれた書画の技でも有名だった弟子の橘千蔭による“墓碑”や“真淵の略歴を万葉仮名で刻んだ石碑”があり、明治以降に贈られた叙位の碑などもあります。橘千蔭たち江戸の門人たちは、略歴を記した碑文の中で「そもそも、皇御国(すめらみくに)の古学の道を開いたのは、荷田春満(かだのあずままろ)や難波の契沖(けいちゅう)であるが、歌の調べを古(いにしえ)に引き返したるは、この大人(うし)(真淵先生)が始めであり尊いことである。種々の書を著し、世に出し、(古学の道を)多くの人が知ることになった…」と真淵の功績をたたえています。
 なお、この墓地には、東海寺開祖“沢庵禅師(たくわんぜんじ)”の墓や明治政府で鉄道敷設に尽力した井上勝(まさる)、昭和の大歌手“島倉千代子”の墓もあります。
※9月28日(金)から11月25日(日)まで開催する特別展『賀茂真淵 画像と遺墨』で、橘千蔭筆の墓碑、略歴を記した石碑の拓本を展示します。