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縣居通信


【縣居通信8月】真淵が見た天の川
 真淵の生きた江戸時代の七夕は旧暦の7月7日です。今の暦では8月9日頃になります。「七夕」の季語は秋と教わったように、旧暦では立秋からが秋になります。七夕は江戸時代「五節句」のひとつとなり、盛大に行われるようになりました。そのため、江戸に生きた人々にとって七夕は秋の大切なお祭りでした。(縣居神社の七夕も8月に行っています)
◎真淵も七夕に関する歌をいくつか詠んでいます。
 ☆「秋風に こよいは床を 払ふらむ ちりもくもらむ ほし合の空」
【口語訳】秋風が吹いている、今宵は織姫が寝床に積もった塵を掃き清め牽牛との共寝の用意をしているのだろう。雲ひとつない七夕の空だ。(二つの星はきっとあうことができるだろう。)
 真淵、26歳の時の歌です。浜松で杉浦国頭(くにあきら)家での歌会で詠んだ歌です。「ほし合」とは牽牛と織姫が出会うことです。この翌年に真淵は正長の女と結婚します。真淵の思いとやさしさがこもったロマンチックな歌です。

 ☆「たなばたの あふ夜となれば 世の中の 人の心も なまめきけり」
【口語訳】七夕の雄星女星(おぼしめぼし)が相会う夜ともなれば、世の中の人の心も艶になまめいてくることよ
 江戸に出てきて間もないころ、四十代半ばのころの歌です。調子の良い、韻律のうつくしい歌になっています。この頃の真淵は荷田信名や荷田在満を頼って江戸に出てきた時期で在満の手伝いをしながら生計を立てていたと言われています。雄星は牽牛、女星は織姫。真淵もどこか心淋しさがあって人を恋しく思っていたのかもしれません。

 ☆「天の川 見つつしをれば 白妙の わが衣手に 露ぞ置きにける」
                     <七月七日の夜に詠める>
【口語訳】彦星の訪れを、今か今かと心待ちにして天の川をじっと見つめていたが、いつのまにか時が経ち、白妙のわが衣の袖に秋の夜露がしっとりと置くまでになった。待たされて、悲しくて、袖には涙がたまることだ。
 真淵が江戸に出て田安家和学御用の勤めを下り隠居した、江戸生活の後半に詠んだ歌で、真淵は織姫(女星)に成り代わって詠んでいます。結句が一音の字余りですが、上の句三句をゆったりと受け止め、必然の字余りとなっています。国学の研究に忙しく生きた真淵をとりまく、家族や師、友人や門弟たちとの様々な出会いや別れが、七夕の日に天の川を見る真淵の心によぎったことでしょう。

 七夕といえば笹の葉に願い事を書いた短冊を飾りますが、これも江戸時代から始まったと云われています。七夕の行事はアジア各国でも行われていますが、笹の葉に短冊を飾るのは日本だけです。真淵はどんな願い事を書いていたのでしょうか。そして、どんな思いで天の川を見ていたのでしょうか。真淵の見た天の川は今よりもずっとずっと美しかったかもしれません。