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縣居通信


【縣居通信7月】いろは順からあいうえお…五十音順への移行
 江戸時代後半の文化文政の頃(およそ200年前)から、多くのかなづかいの書が出版され、折り本や三ツ切本といった小型で歌会などに携帯し参照するといった本も広まりました。そして、文字を調べるにあたっての語句の配列が「いろは」順からあいうえお…の「五十音」順になっていきます。この五十音順の普及には、賀茂真淵をはじめとする国学者たちの日本語研究が大きくかかわっていました。

◆五十音表の普及と国学者
 今日おなじみの「あいうえお」の五十音は、中世以降の音韻の研究にともなって形づくられ、仏教の梵字(ぼんじ)を学ぶ中で、梵字の発音に関係したものでした。それを、江戸時代になって、真言宗の僧であった契沖が、同母音を横に、同子音を縦に並べて「五十音表」を考案し、著書「和字正濫鈔(わじしょうらんしょう)」に掲載しました。この画期的な研究を継承した賀茂真淵は、最晩年に出版した日本語研究の著書「語意考」において『五十聯音(いつらのこゑ)』と名付けた五十音表を紹介し、語句の活用も説明しました。こうして、五十音表が国語研究の世界に広まっていきました。


◆真淵以後の国語研究
 真淵の五十音表は万葉仮名で表記されていましたが、弟子の楫取魚彦(かとりなひこ)が、著書「古言梯(こげんてい)」で、かな表記の五十音表を発表します。さらに、本居宣長が、真淵の表では「お」がワ行、「を」がア行に属していたのを改めます。こうした国学者たちの日本語研究により歴史的仮名遣いの表記の基礎が確定し、文化文政以降、冒頭に記したように多くの五十音順に基づくかなづかいの書が出版されていきました。明治以降、小学校で国語の時間に「あいうえお、かきくけこ…」と五十音で子どもたちが学ぶ国語の授業の光景は、これら江戸期の研究をふまえた仮名表記に従って形づくられたものだったのです。
 そもそも「いろはにほへと…」は、仏教的無常感を詠んだもので、その配列には母音子音の関係はありません。真淵をはじめとする国学者が研究し広めた五十音表に代表される仮名表記は、語の活用に深くかかわる母音子音を整理したもので、国語を正していったものといえます。