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縣居通信


【縣居通信1月】真淵、富士の麗姿を詠む…国学者と富士山
 正月の初夢について「一富士二鷹三茄子」という言葉があります。富士山の姿が夢枕に出てくるというのは、多くの人々にとって縁起がよいものという感覚があると思います。古くからの日本人の心を追究していた真淵たち国学者は、富士の麗姿に感動し、神の宿る山として敬う思いこそ、古来から続く日本人本来の心だと考えました。そして、自らも富士山を尊び、歌や絵に表しました。右の堂々たる富士山の掛け軸は、当館所蔵の江戸時代後期の京都の画家と歌人によるものです。

◆真淵翁の和歌「ふじの山をみて」「するがなる」
 左の和歌は、真淵著「岡部日記」に納められたもので、44歳の時に詠んだものです。浜松から江戸への道中、十三夜に油井の宿に泊まり、月見のために夜中に宿を出立し、“快晴の夜明けの富士”を見て詠んだものです。富士をはちす(蓮)の花に見立て、蓮の花の泥に染まらない白く清らかな姿と世俗に染まらない人の生き方を重ねて詠っています。およその意味は「一体いつの世の塵芥(ちりあくた)から生まれ出て、富士は蓮の花ように美しく見えるのであろうか」となります。
 右の短冊も、真淵の和歌です。夏の日に東海道中で富士山を望み、作った長歌に添えた反歌です。真淵50歳の時です。歌の意味は「駿河の国にそびえる富士の高嶺は、雷鳴とどろき稲妻が走る黒雲の上にそびえたつすばらしい山であることよ」となります。富士の雄大さ、神々しさが親しみやすく表現されています。この雷雲を従えて高くそびえる様は、そのまま葛飾北斎の浮世絵や「頭を雲の上に出し四方の山を見下ろしてかみなりさまを下に聞く…」の歌詞で有名な唱歌“ふじの山”につながっています。
 さらに、真淵翁は、67歳の時、田安宗武公の命で大和、山城そして伊勢への旅に出ます。その途中でも、富士山を仰ぎ、“おのれ真淵さきに不自の嶺(ふじのみね)を見放(さけ)けて思えらく…”ではじまる長文「富士の嶺を観て記せる詞」を残しています。
 いずれの作品も真淵翁の富士山への思いにあふれています。真淵だけでなく、本居宣長をはじめとする多くの国学者が富士を賛美する書画を表しました。2月18日(日)から25日(日)まで当館会議室で富士山に関する特別展を開催します。写真の作品は特別展で展示する予定です。