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縣居通信


【縣居通信11月】真淵先生の指導方法は今の教育に通じる
 真淵は、37歳で故郷浜松から京都に出て、伏見稲荷の神官、荷田春満(かだのあずままろ)のもとで本格的に学問の道に突き進みます。やがて、江戸に出た真淵は、42歳の時、初めての弟子をもち、亡くなる73歳までに、門人は340人ほどに増えました。著書「にひまなび」などで、学問の取り組み方を述べている真淵ですが、先生として、日々どのような指導をしたのでしょうか。
◆気づかせる教え~教材の工夫~  右の文字は、真淵が、八代将軍徳川吉宗の次男田安宗武公に和学御用として仕える中で、若様にてならいの手本として書いたものと伝えられています。これは、古今和歌集の仮名序に登場する、朝鮮半島から渡来した学者王仁(わに)の詠歌の上の句です。冒頭の「な」のくずしが意図的に縦長で、漢字の「奈」との関係に気づくように工夫されています。ひらがなが漢字からつくられたことを若様に気づかせる配慮が分かります。こうした教材の工夫は、今の教育現場にも通じるものといえます。

◆分かりやすく具体的な指導、弟子を思いやる指導…和歌の添削、書簡での指導
 真淵は、書簡のやりとりや詠歌の添削による弟子への指導を数多く行っています。
 左の写真は、信州松代藩の当主、真田伊豆守の妹ふぢ子が、自分の詠歌を真淵に送り、添削してもらったものの冒頭部分です。真淵は、名前を「ふじ」ではなく「ふぢ子」と書くこと、歌の前の空白に、「書き送られた詠歌は祝いの歌であり、小さき紙ではよくない。…〈中略〉…祝いの紙のかさねは松かさねを専ら用います。」と、表記や用紙について具体的な指導を書いています。そして、詠歌1行目部分でも「松にちきるは、をちきる」に、「嘉年の嘉は別の字に…」と、きめ細やかに分かりやすく指導をしています。
 また、右の写真は、芦田善蔵の妻りよに宛てた真淵の書簡です。(おりよさんからの)二度の文を読みました…ではじまり、夫のけがの見舞いのあと、次回の和歌の勉強会の兼題(事前に示した歌の題)を示し、「絵のようすをよく心に置いて、その趣向をなすようにすべき」…など、どのように詠ずるとよいかを具体的に教えています。
 これらの資料から、真淵は、教え込むというより、弟子が気づき、やる気が育つように、具体的で分かりやすい指導をし、時には弟子を認め励ますなど、きめ細やかな気配りをする先生だったことが想像できます。
〈写真は、上から手本貼り賀茂真淵像・真淵添削真田家婦女詠草・賀茂真淵書簡“りよ宛”:いずれも11月30日から始まる後期平常展にて展示します。〉