【縣居通信6月】
真淵が生きた江戸時代中期 その2
江戸時代以前の読み物は写本によるものでしたが、江戸時代には木版印刷が普及したため、版本(版木で印刷した本)が大量に刷られるようになりました。版木は2ページ分(一丁)ごとに彫るため、100ページの本なら50枚の版木が必要になりました。1冊の本を作るのにかなりの手間とコストがかかりました。版本はかなり高価なものだったのです。
版木で印刷された高価な「版本」は、人々に読まれたか?
元禄期(1688~1704)の16年間では、およそ4800の書物が成立したと言われています。年平均では300の書物が成立したことになります。(※上智大学非常勤講師・誠文堂書店店主 橋口侯之介著『江戸の本屋と本づくり』P271掲載の統計データを参照)
江戸時代前期の文芸作品で、井原西鶴が書いた『好色一代男』は、天和2年(1682)に全8巻が刊行されました。享楽的な上方の町人に生まれた主人公・浮世之介が7歳から60歳までの浮世の好色を尽くした一代記を描いた作品です。
この『好色一代男』の一冊の当時の価格は、およそ銀1匁(もんめ)50文ほどで、今の価値に直すとおよそ5700円でした。これがよく売れたというのですから、江戸時代に生きた庶民の読書欲と識字率の高さをうかがうことができます。出版は江戸時代を代表するビジネスの一つであり、文化の振興を支えました。(※本の価格は、上智大学非常勤講師・誠文堂書店店主 橋口侯之介著『江戸の本屋と本づくり』P92掲載の「江戸時代の平均的な金銀銅貨の換算比率表」を参照)
真淵にも多くの著作がありますが、中でも『万葉集』の注釈書である『万葉考』は代表作と言えるものです。『万葉集』の巻一・巻二・巻十三・巻十一・巻十二・巻十四を順に、『万葉考』の巻一から巻六にあて、『万葉集』の原形としました。
宝暦10年(1760)10月、真淵64歳のときに『万葉考』の一巻・二巻・別記の原稿が完成した後、およそ8年後の明和5年(1768)、真淵72歳のときに、この一巻・二巻・別記が『万葉考』の版本として刊行されました。真淵が亡くなる一年前のことでした。
「版本」の出現により、これまでの一冊借りて来て、一冊写すという写本の世界から、版木が摩耗するまで何冊でも刷ることができる版本の世界に移行したのです。これによって、だれでも、いつでも、どこでも、文化に接し、学問研究に参加できるようになりました。