【縣居通信1月】
賀茂真淵が婿入りした梅谷(うめや)本陣とは?
賀茂真淵は、27歳の時に2度目の結婚となる
梅谷本陣に婿入りをしています。
それでは真淵が婿入りをした梅谷本陣とはどんなところだったでしょうか。江戸時代の浜松宿は東海道の宿場町であるとともに浜松城の城下町として発達し、繁栄していました。この浜松宿は、ちょうど江戸と京都の中間にあたりました。天保年間には、浜松に本陣を含めた旅籠の数は100軒あったと記録されています。東海道の宿場のうちでも浜松宿は規模が大きく、本陣は6軒を数えました。
本陣とは、大名や幕府の役人、勅使など特別の身分や格式をもった者が宿泊した高級指定旅館のことです。東海道中でも6軒の本陣があったのは箱根と浜松だけでした。6本陣とは
伝馬町の梅谷市左衛門、同町杉浦助右衛門、同町川口次郎兵衛、旅篭町の伊藤平左衛門、同町杉浦惣兵衛、連尺町の佐藤与左衛門の各家々でいずれも東海道筋に家を構えていました。
賀茂真淵が婿入りした梅谷市左衛門は、杉浦助右衛門に次いで二番目に古く格式のある本陣でした。また、この梅谷本陣は、賀茂真淵の岡部家と縁戚関係にあたると言われています。
前年に新婚生活わずか9か月で前妻の岡部政長の女(むすめ)と死別し、深い悲しみ包まれていた真淵は僧になろうとしましたが許されず、家人の紹介で梅谷本陣に婿入りすることになったと伝えられています。嫡男真滋(ましげ)を授かり、婿入りを勧めた実父が亡くなったとき、志を捨て難い真淵は、理解ある妻の励ましもあり、勉学のため荷田春満のもとへ上京したのでした。真淵37歳のことです。
※ 「梅谷本陣」のことを「
梅屋本陣」と書く場合があります。