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縣居通信


【縣居通信12月】
松平定信の随筆『花月草紙』
 『花月草紙 』は、松平定信による江戸時代後期の随筆集です。定信は江戸時代中期の大名であり、老中にまで登り詰めました。
 賀茂真淵が和学御用として仕えた田安宗武の七男で、8代将軍・徳川吉宗の孫にあたります。陸奥国白河藩の第3代藩主で松平家9代当主でもありました。1787年から1793年まで老中となり、寛政の改革を行ったのは有名です。

松平定信が幕閣を引退後に著した『花月草紙』とは?

 定信が書いた『花月草紙』は全部で6巻あり、その中には156話が取り上げられています。老中を致仕した後、寛政8年(1796年)から享和3年(1803年)の間に成立しました。
 『花月草紙』は江戸時代を代表する随筆の一つとされ、江戸時代の学者や文人の随筆・雑考などを集めた『随筆大成』『百家説林』に収録されています。定信は学問を好んで、生涯に200近くの著作を残しました。幕閣を引退後に、『花月草紙』のような文芸に関するものを多く著しました。文学、芸術、政治、経済や自然現象、日常生活など多岐にわたる分野について雅文体で記したのがこの本です。
 両頭の蛇の話を聞いて、2匹の蛇のしっぽを結びつけ、どちらにはっていくかを観察した話、石をかみ砕くほど歯の丈夫な男の話、桜の花の塩漬けの話、忠義な猫の話、「伊勢物語は梅のごとく、源氏物語は桜のごとく、狭衣は山吹のごとし、徒然草は薬玉につくれる花のごとし」などという文学論など、寛政の改革で「世の中に蚊ほどうるさきものはなし、文武といふて夜も寝られず」と狂歌で皮肉られた定信の人物像からは想像もつかない味わいのある随筆が収められています。

【『花月草紙』巻一 巻頭「花のこと」一部】
 無しと聞けば有りと言はまほしく、悪しと言ふをば善しとことかへて言はむこそ、いとねぢけたる事なれ。桜てふ花はわが国のものなるを、 唐国にもありとて、さまざま例など引きつくれど、桜かいたる唐土の画もなく、かなへりと思ふ詩(からうた)もなければ、なしこそ言ふべけれ。いでや、桜と言はでしも花とだに言へば、こと木にはまぎれぬものを。

(現代語訳)
 「無い」と聞くと「いや、ある」と言いたがり、「悪い」と言うことを「いや、いい」と、人と違うことを言うことは、ひどくひねくれたことである。桜という花は、わが国のものであるのに、唐国(中国)にもあると言って、様々な例を引いているが、桜を描いた中国の絵もなく、桜のことを書いたと思える漢詩もないので、桜は中国にはないと言うべきだろう。いやはや、桜と言わなくても花とだけ言えば、ほかの木とまぎれることもないのに。

R5平常展では、松平定信の『花月草紙』が展示されています。ぜひ御鑑賞ください。