【縣居通信10月】
真淵が高く評価した鎌倉3代将軍・源 実朝
もののふの 矢並つくろふ 籠手(こて)の上に 霰(あられ)たばしる 那須の篠原
源 実朝 出典:『金槐和歌集』
『金槐和歌集』は、鎌倉時代前期の3代将軍・源実朝の歌集です。700首前後の歌が収められ、「金」は鎌倉の「鎌」の金偏をとったもの、「槐」は「槐門」の略で大臣を表しています。つまり、鎌倉右大臣である源実朝の歌集ということになります。
真淵は、実朝の歌のどんなところをほめているのか?
多くが古今・新古今風の歌ですが、万葉風の歌も収められています。賀茂真淵は『金槐和歌集』を校訂したときに、実朝の万葉風の歌を「大空に翔ける龍の如く勢いあり」とほめています。中でも、「もののふの」の歌は、「人麻呂のよめらん勢ひなり」と特にほめています。
〇歌の意味
武士が背負っている箙(えびら)にある矢の並びを直していると、その小手の上に霰(あられ)が降りかかり、音を立てて飛び散っている。活気がみなぎる那須の篠原の狩場であることよ。
実朝は、那須を訪れたことがありませんでした。かねてから聞いていた建久4年(1193)の父・頼朝の那須での狩りを想起して、万葉集にある柿本人麻呂の「
わが袖に 霰たばしる 巻き隠し 消たずてあらむ 妹が見むため(2312)」の歌を念頭において詠んだ歌だとされています。
那須の篠原で狩りをする武人が、次の獲物を狙うまでのわずかな間、降る霰の中でひと息入れて、馬上で矢並を直しているという勇壮な情景が目に浮かびます。
「わが袖に」の歌は、「霰が我が袖に飛び跳ねているが、これをすぐに払い消すようなことはしないで、このままにして愛する人に見せてあげよう。」という人麻呂の感性と優しさが表れた歌です。
松尾芭蕉の句にもこんな作品があります。
「
石山の 石にたばしる あられかな」
芭蕉は大津・石山寺を訪ねたときに、実朝の『金槐和歌集』の「霰たばしる」という表現が、記憶の底から蘇ったのでしょう。和歌や俳句づくりには、こうした本歌取りの事例がよく見られます。