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縣居通信


【縣居通信7月】
今も残る本居宣長が暮らした旧宅
 本居宣長記念館(三重県松阪市)の正面玄関横の坂道を上がっていくと、松坂城の石垣がすぐに見え始めます。その小高い丘に本居宣長旧宅があります。
 本居宣長旧宅は、三重県松阪市の松坂城・二の丸跡地にある史蹟です。宣長は、12歳から72歳で亡くなるまでこの家に住んでいました。(京都遊学のおよそ5年間を除く)
 明治42年(1909)に保存のため、現在の場所に移築され、昭和28年(1953)には、国の特別史跡に指定されています。
 宣長の昼間の仕事はお医者さんでした。(今の内科医・小児科医)薬箱を持って患者さんを訪ねます。夕方に帰って来てから、町の人や全国から訪ねて来る人に『源氏物語』や『万葉集』などの古典を講釈していました。
 夜も更けてみんなが帰った後は、一人で『古事記』を解読して『古事記伝』を書き続けました。
 1階は上がることができるので、当時の部屋の静けさや暗さを体験することができます。奥の8畳間は来客時の応接間ですが、宣長の勉強部屋でもあり、後には講義の教室にもなりました。宣長は7人家族であり、奥さんと5人の子供たちと一緒に暮らしていました。
 宣長が53歳のときに、2階部分を増築して自分の書斎(勉強部屋)を作りました。右の写真にあるように大きな窓がある明るい部屋です。
 鈴を好んだ宣長は、書斎の床の間の柱に鈴を吊り下げ、執筆活動の息抜きに鈴を鳴らして音色を楽しみました。宣長は、この書斎を「鈴屋」(ずずのや)と名付けています。
 床の間には、「縣居大人之霊位」(あがたいのうしのれいい)と書かれた掛軸があります。縣居大人とは、賀茂真淵先生のことです。2階に上がることはできませんが、外から部屋をのぞくことができます。