【縣居通信11月】
真淵の遠江の孫弟子、宣長の弟子・石塚龍麿
石塚龍麿は、明和元年(1764)、遠江国敷知郡細田村(今の浜松市)に生まれました。天明6年(1786)23歳のとき、内山真龍に入門し、その後、26歳のとき、本居宣長に入門しました。
龍麿は国語研究に優れ、宣長の学説(国語学)を継承・発展させました。
石塚龍麿の国語研究には、どのようなものがあるのでしょうか?
石塚龍麿著の『古言清濁考』(こげんせいだくこう)は、龍麿が29歳のときにまとめた江戸時代の語学書です。古事記・日本書記・万葉集の万葉仮名の表記を調べ、清音・濁音を一語一語に当たって区別して清濁のどちらで読むのが正しいのかを明らかにしました。
例えば、「さわき(佐和伎)」や「さわく(佐和久)」については、「き」も「く」も清音で読むべきであることを示し、これらを濁音で読むことは誤りであることを説きました。現在では、「さわぎ」「さわぐ」と濁音で発音するのが通例となっています。
また、石塚龍麿著の『仮字都可飛奥乃山路』(かなづかいおくのやまじ)は、龍麿が32歳のときにまとめた江戸時代の語学書です。上代(奈良時代以前)に用いられた「き・け・こ」などの同じ音と考えられる万葉仮名には、語によって2種類の書き分けが見られることを明らかにした本です。この研究は、当時、あまりにも画期的過ぎて全く理解されなかったようです。これは明治時代以降に研究が進められた「上代特殊仮名遣い」と言われるもので、その先駆的な貴重な業績となりました。
その先駆的な業績を引き継いだのが、東京大学教授で国語学者の橋本進吉氏(1882~1945)でした。明治時代末に橋本氏が、龍麿の『仮字都可飛奥乃山路』の真価を知り、世に紹介して一躍国語学界の注目を集め、古代日本語の音韻を知る上で重要な書物とされるようになり、新しい古代日本語研究の道を開く端緒となりました。