メールでのお問い合わせはこちらから

お問い合わせ

縣居通信


【縣居通信9月】~2019年は真淵翁没後250年
明治から昭和の時代に真淵翁の顕彰につとめた後裔、岡部 譲(ゆずる)氏
図書一万巻の『縣居文庫』創設に尽力する

 江戸期の遠江の真淵の門人、高林方朗(みちあきら)たちは、真淵翁五十年祭を挙行し、真淵の御霊を祀った縣居翁霊社を建立して、後々まで翁の顕彰の心が続くよう努めました。そうした流れの中、明治から昭和にかけて、真淵の血縁の後裔、伊場の岡部家から翁の顕彰に努めた人物に“岡部 譲”がいます。譲氏の最大の顕彰は、真淵翁を祀った縣居神社境内への『縣居文庫』創設に取り組んだことが挙げられます。
 岡部譲氏は、嘉永2年(1849)浜松藩内の伊場村(今の浜松市中央区東伊場一丁目)に、岡部政美(まさよし)の長男として生まれました。真淵を生んだ岡部家は、地元賀茂神社の神官を務める家でした。譲氏は24歳で丹波国、出名(いずな)神社の権宮司になり、その後、遠江の井伊谷宮、秋葉神社などの神官を務め、45歳の時には、伊勢神宮権宮司に任命されました。その後、多賀大社、熱田神宮、伏見稲荷大社の宮司を歴任しました。大正11年(1922)73歳で退職し、浜名郡新居町(今の湖西市新居町)に岳洋荘(がくようそう)と名付けた隠居所に移り、昭和12年(1937)89歳で逝去しました。神職を務めるかたわら、明治24~25年と30年に浅場村(旧伊場村と浅田村のこと)の村長を務めています。

 左の写真の左側に見える建物が縣居文庫で、譲氏が収集した図書11,650冊を献納して創設されました。昭和2年発行の冊子“文化之濱松”(鈴木吉則氏寄贈)を見ると「縣居文庫建設さる 圖書壱萬巻の内容」という見出しで特集が組まれています。内国書と外国書に大別され、内国書は、神書、史伝、政書、文学、芸術…等23種類に分類、外国書は、漢籍及び其の他として、経書、正経、経典…など14種類に分類、漢文書の多くは原文を注釈或いは釋解したるものにして、外書としての古文書多く…と記され、膨大な分野の図書であったことが想像できます。目録だけで高さ2尺あまりとの記述も見られます。中には、真淵翁手澤本(しゅたくぼん)である元禄版日本書紀、美濃紙版120頁に大きな文字で書き込まれた真淵翁の祝詞考などが含まれているといった記述も見られます。
 残念ながら、これらの図書は、太平洋戦争時、昭和20年の2度にわたるアメリカ軍の空襲により、本殿や社務所とともにそのほとんどが焼失してしまいました。
 ※記念館では、9月27日からはじまる特別展で、わずかに残った縣居文庫の図書を紹介します。