【縣居通信7月】~2019年は真淵翁没後250年~
神として祀(まつ)られた国学者たち、第1号は、浜松の「縣居翁霊社」
本居宣長は自らの書斎の床の間に「縣居大人霊位(あがたいうしのれいい)」と書いた掛け軸を下げ、師である賀茂真淵の霊を祀っていました。また、遠江の真淵そして宣長にゆかりのある人々は、真淵の生まれ育った浜松で、年祭を行っていました。こうした中で、文政元年(1818年)、真淵の孫弟子高林方朗(みちあきら)らによって、真淵50年霊祭が行われ、次いで天保10年(1839年)には、高林方朗や方朗の国学の弟子であった浜松藩主水野忠邦、そして多くの門人らによって、真淵の生地である伊場村の賀茂神社境内に「縣居翁霊社(あがたいおうれいしゃ)」が建立されました。(※縣居は、もともと真淵最後の家に真淵が名付け、そこから真淵を尊称する呼び方として縣居翁、縣居大人などが定着しました。意味は田舎の心、ふるさとを大切に思う心だと真淵自身が著書で述べています。)
国学者を祀る神社としては、これが全国で最初のものと思われます。この霊社は、明治17年に縣居神社と改称。大正13年に、真淵生家の北側の崖の上、三方原台地上の現在地に、新たな社殿が完成し遷座しました。第2次世界大戦の空襲で焼失しますが、昭和59年(1984年)に再建され、現在に至っています。
<左の写真の拝殿の前の石碑は、霊社設立時に建てられたもので、水野忠邦が書いた縣居翁霊社の文字を刻んだもの>
国学者を祀る主な神社
浜松の真淵を祀った縣居神社に続いて、明治期から国学者を祀った神社が建立されました。京都の伏見稲荷大社に隣接して荷田春満を祀った東丸(あずままろ)神社。松阪の本居宣長の宮。平田篤胤を祀った神社が東京代々木平田神社と秋田の弥高(いやたか)神社。そして、春満、真淵、宣長、篤胤のいわゆる四大人を祀った神社が伊那の本学神社と静岡の玉鉾神社です。その他、所沢には桜木神社などがあります。
国学者を敬う心から、神社創設の動きが各地にあったことがわかります。