【縣居通信1月】真淵、富士の嶺を観て記す
古くからの日本人の心を追究していた賀茂真淵は、富士の麗姿に感動し、神の宿る山として富士山を敬う思いこそ、古来から続く日本人本来の心だと考えました。昨年1月の縣居通信「真淵、富士の麗姿を詠む」につづき、今月は、真淵の長文「富士の嶺を観て記せる詞」を紹介します。
※バックナンバー平成30年1月号参照
◆“おのれ真淵さきに不自の嶺(ふじのみね)を
見放(さけ)て思えらく……” 宝暦十三年三月賀茂真淵がしるす <長文>
真淵は、67歳の時、田安宗武公の命で万葉集ゆかりの地、大和、山城そして伊勢へ、弟子の村田春郷(はるさと)、春海(はるみ)兄弟らを連れて旅に出ます。その旅の途中、富士山を仰ぎ、長文「富士の嶺を観て記せる詞(ことば)」(写真:掛け軸)を残しました。この作品は、現在開催中の平常展で展示しています。この詞は、賀茂翁家集(巻之四、雑文二)にも収められています。当館初代学芸職員寺田泰政氏が活字に直したものをもとに紹介します。
真淵と弟子の春郷の感嘆の言から書き出し、風景としての富士に大君の姿を重ね、その美しさ素晴らしさを述べ、さらに、治世や世の平穏への耽美、わが国柄の美しさを象徴的にとらえて記しています。筆跡も躍動感のある雄々しい作品です。