【縣居通信11月】多忙だった真淵…書簡からわかるきめ細やかな気配り
「賀茂真淵 画像と遺墨」と題した平成30年度特別展では、市指定文化財である真淵の書簡を見ることができます。右の写真は、真淵書簡「十二月十八日」(軸装)の一部です。写真の下には活字に直した文章を載せました。
この書簡は、真淵が三河国吉田(現在の豊橋)の親戚に宛てたもので、★印から始まるやや大きな文字で左端の宛名まで書かれた部分が、「昇進のお祝いをいただいた返礼文」です。そして、右端の■印から小さな文字で「猶々(なおなお)…」で始まり、行間に続く文は、書き加えられた文になっています。
「秋来は拙者出勤…」で始まる
本文は、「秋になり私は田安の殿のもとに出仕していますが、(大御番格奥勤、十五人扶持に)昇進したお祝いに、書状と干し鱸(すずき)二枚をいただき、有難く拝受いたしました。それからのち、御用が多く忙しかったため、御礼が延び延びになってしまいました。まずは寒さ厳しき折、ご無事にお勤めになられおめでたく存じます。私も無事に過ごしております。年の瀬も押し迫っています。来春、多くのご多幸がありますように。」と昇進のお祝いをいただいた返礼が書かれています。返礼が遅くなったのは多忙だったためとだけあり、全体に簡略な文面でしたためられています。
しかし、書簡の右端から「猶々(なおなお)…」で始まる
書き加え文は、字体も繊細ですが、真淵のきめ細かさや気配りが伝わってきます。書き加え文は、まず、御祝物として注文されていた飯と干物が、日にちが経ってしまい、新たにご用意いただいたことへの丁寧なお礼「ご親切の極みと感じています」と記され、5行目からは、
「いつも(返事をします)と申しながら、この夏以来(田安の殿から)さまざまな書物に注釈をつけるようご下命を受けました。その上、朝早くから急な御用も多いため、日常生活における手紙のやり取りをやめてしまったので、せっかくの厚意をいただいたのに、忙しさに紛れて非礼になってしまい、申し訳もなく思っています。どうか寛大なお心でお許しください。以上」と、
和学御用として、次々と書物の注釈を記し奉ったり、早朝から田安殿の質問や指示があり応じたりしており、多忙が故に、私用の書簡を執筆することやめている…と、仕事に追われる様子をきめ細やかに記しています。
書簡は、宛名の後に「追而(ついじ)」で始まる
追伸(書き加え文)が続きます。ここでは、例年のように蕪(かぶ)をいただいたお礼、蕪の返礼に越後の鱈(たら)を吉田行の船を待って贈ることなどが記されています。
この書簡から、三河の親戚と江戸の真淵とが、書状だけでなく昇進の御祝物と返礼をやりとりしたり、蕪(かぶ)や越後の鱈を船便で送ったりしたことがわかり、遠くの親戚とも気配りあふれるやりとりをしていたことが分かります。江戸時代も現代の郵便や宅配便のように、書簡や物資のやりとりが活発に行われていたことが想像できます。
《これら真淵書簡の展示は、11月25日(日)まで行っています。》