【縣居通信10月】賀茂真淵の十三夜「九月十三夜県居にて」
~連作五首を詠む~
十三夜とは十五夜の約一ヶ月後に巡ってくる月夜のことで、旧暦の九月十三日頃の月のことです。新暦では十月の中旬から下旬のころになります。十五夜のことを「中秋の名月」と呼ぶのに対し、十三夜は「後の名月(のちのめいげつ)」と呼ばれ、中秋の名月以上に最も美しい月といわれています。延喜19年(919)宇多天皇が十五夜の宴のあと、十三夜に観月の宴を行ったのが、十三夜の月見の始まりともいわれています。
明治から昭和の大歌人佐々木信綱先生の『県居の九月十三夜』では「
この年九月十三日の夜は、空に塵ばかりの雲もなく晴れ渡って、清くさやかな月の光は八百八街を照らした。当時六十八歳の高齢に達し、幾百人の門下の師と仰がれて、江戸に門戸を張ってをる多くの儒学者の中に一敵国の観を為してゐた賀茂真淵は、~中略~この夜親しい門人の誰彼を招いて、月見の宴を催したのであった。」「この夜は殊に心地よげに、門人等とさまざまの物語に興じた。~中略~今夜は数首を詠じ、好物とて故郷からとりよせた山蕎麦や干した松露、干魚などを味はうて、枸杞(くこ)の実を入れたやはらかい自用の古酒を数盃かたむけた。」と記されています。
明和元年(1764)真淵は68歳のとき、浜町に居を構え「県居」と号しました。そして、9月13日に新居の御祝いを兼ねて「県居」で観月の雅会(月見の宴)が開かれ、友人や弟子たちと共に、真淵は5首の連作を披露しました。「九月十三夜夜県居にて」と題する五首の連作は真淵の万葉調の名歌となっています。
真淵は「県居」で美しい月を見上げながら、門人たちと語らうことで、師荷田春満や故郷浜松のこと、息子真滋のこと、二人の妻のこと、門人のことなど自分に関わってくれたいろいろな人との思いが頭の中をよぎったことでしょう。
☆「九月十三夜県居にて」五首連作は、浜松市中央区東伊場一丁目、真淵生家跡の顕彰広場記念碑に刻まれています。