【縣居通信3月】真淵の弟子「内山真龍(うちやままたつ)」八十歳の自画像のモデルは?
遠江国豊田郡大谷(おおや)村(現在の浜松市天竜区大谷)の名主の長男に生まれた内山真龍は、23才の時、すでに江戸で高名な国学者となっていた66才の賀茂真淵(かものまぶち)に入門します。現在、真龍の生家跡に「内山真龍資料館」があり、真龍の業績が貴重な資料とともに紹介されています。右の自画像は、その資料館のパンフレットに掲載されているものです。
後に、多くの門人を育て、『遠州国学の育ての親』と呼ばれた内山真龍が、自ら80才の時に描いた絵ですから、当然、自らをモデルにしたと考えねばなりません。ただ、この絵を見ていると、かなりこわもての顔、筆をもったポーズ、古風な服装など…本当に本人に似せて描いたのかなという疑問もわいてきます。
平成28年11月に開催した当記念館の特別講座で、近世絵画に詳しい静岡大学情報学部教授高松良幸先生から、真龍の絵画について次のようなお話がありました。
○真龍は特別な師匠は持たず独学で絵を学んだと思われる。描く線の力強さに特徴がある。
○真龍の描いた「柿本人麻呂画賛」は、臨済宗中興の祖と称される白隠慧鶴(はくいんえかく)の「人丸画賛」と大変よく似ている。脇息に肘を置き、筆を持つというポーズが共通している。
上の絵が真龍の描いた柿本人麻呂像です。さらに、右下は白隠慧鶴の人丸画賛に描かれている柿本人麿呂のポーズです。これらを比較すると、3枚の像に似た部分が多々あります。真龍の自画像は、座って筆をもつ姿に、白隠慧鶴の人丸画のポーズが反映され、そして、自ら描いた柿本人麻呂像の顔の表情が、自らの顔の表情に反映されているように思われます。
こうして見てくると、この真龍80才の自画像は、自らを万葉の大歌人〝柿本人麻呂〟に似せたというか、あこがれの歌聖〝人麻呂〟になったつもりの画とも考えられます。モデルは、真龍自身というより、あこがれの万葉歌人、歌聖〝柿本人麻呂〟だったのかもしれません。
※浜松市立内山真龍資料館:9:00~17:00(月・火及び祝日休館)天竜区役所から北東へ徒歩約7~8分