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賀茂真淵について

賀茂真淵略年譜

西暦 年号 年齢 真淵について(業績ほか) 社会のできごと
1697 元禄10 1 3月4日遠江国敷智郡岡部郷
岡部政信の三男として生まれる
幼名「岡部三四」
 
1700 元禄13 4   水戸光圀死す
1701 元禄14 5 契沖(62)没 大地震で今切交通不可能に
1702 元禄15 6 岡部政盛の養子となる
後とりが生まれ、実家にもどる
赤穂浪士、吉良邸討入り
1703 元禄16 7   浜松宿1386戸 4336人
伊場村 農家504人
1707 宝永4 11 杉浦国頭の妻(真崎)に手習いを教わる 富士山が噴火、宝永山できる
姫街道の交通盛んになる
1716 享保 元 20   徳川吉宗将軍 大岡忠相
1720 享保5 24 賀茂御神にねぎ奉る(政躬)の歌文をつくる  
1722 享保7 26 杉浦国頭の歌会で荷田春満に会う
(政藤)(政成)
 
1724 享保9 27 岡部政長の婿養子、「やう」と結婚
妻1年で亡くなる
渡辺蒙庵に漢学を学ぶ
甘露寺、神立社で詠歌(春栖)
近松門左衛門死す
1725 享保10 29 浜松本陣梅谷甚三郎(娘)の婿養子
「いそ」と結婚
 
1726 享保11 30   五嶋新田 源太夫掘できる
1727 享保12 31 長男真滋が生まれる  
1732 享保17 36 父「政信」79歳が亡くなる  
1733 享保18 37 上京 荷田春満に師事 歌会で詠歌
(淵満)(真淵)
 
1734 享保19 38 青楓亭の雅会で漢詩も作る(茂陵、淞城) 百姓一揆
1736 元文 元 40 浜松に帰省『旅のなぐさ』(西帰)を書く
荷田春満(68歳)が死ぬ
 
1737 元文2 41 3月江戸に出る 荷田信名家に寄る
6月芝崎家、11月根本家に寄宿す
 
1738 元文3 42 6月村田家に寄宿す
小野古道、真淵最初の門人となる
 
1739 元文4 43   陸奥沖にロシア船出没
1740 元文5 44 6月杉浦国頭(63歳)が死ぬ
浜松に帰省『岡部日記』(東帰)を書く
 
1742 寛保2 46 茅場町に新宅を構える
冬『万葉集遠江歌考』成る
 
1744 延享 元 48 6月『国歌論臆説』を田安宗武に奉げる  
1745 延享2 49 正月実母が死ぬ
9月浜松に帰省『後の岡部日記』を書く
田安宗武徳川幕府の参議に
1746 延享3 50 2月茅場町の家火災に遭う
同月田安宗武に仕える(和学御用を承る)
『祝詞解』できあがる
 
1747 延享4 51 宗武から五人扶持を賜る  
1749 寛延2 53 正月『古器考』を奉げる
『万葉解』ができる
徳川家重琉球使節を引見
1751 宝暦 元 55 4月荷田信名(68歳)が死ぬ
7月十人扶持を賜る
8月荷田在満(46歳)が死ぬ
9月梅谷の妻いそ(45歳ぐらい)が死ぬ
徳川吉宗(68)没
1752 宝暦2 56 6月森暉昌(68歳)が死ぬ
同月十五人扶持を賜る
浜松藩 遠州大念仏を禁止
1754 宝暦4 58 2月杉浦真崎(65歳)が死ぬ 山脇東洋ら死体解剖
1755 宝暦5 59 9月自宅を古風にしつらえ、
『飛騨たくみ』の歌を詠む
 
1756 宝暦6 60 11月野原りよ(46歳)が死ぬ  
1757 宝暦7 61 6月『冠辞考』成る 杉田玄白、西洋医術を唱う
1758 宝暦8 62 4月『源氏物語新釈』成る 浜松宿1698戸
1759 宝暦9 63 正月岡部政舎の娘(島)を養女に
5月中根定雄を婿養子に
 
1760 宝暦10 64 10月『万葉考』一・二・別記脱稿する
11月隠居
2月江戸の大火
1762 宝暦 12 66 11月内山真龍が入門する 『文意考』成る  
1763 宝暦13 67 2月大和への旅に発つ
5月松坂で本居宣長と対面(松坂の一夜)
9月養女政舎の娘(島)が死ぬ
12月宣長入門(『古事記伝』に着手す)
東海道に並木道を植える
1764 明和 元 68 7月日本橋浜町に移り「県居」と号す
9月県居で観月の宴を催す
11月『歌意考』成る
 
1765 明和2 69 7月『にひまなび』、『国意考』成る  
1766 明和3 70 正月杉浦国満(53歳)が死ぬ  
1767 明和4 71 3月栗田土満が入門する 田沼意次側用人となる
1768 明和5 72 『祝詞考』成る
『万葉考』一・二・別記刊行する
伊勢おかげ参り流行
1769 明和6 73 2月『語意考』『書意考』成る
10月30日真淵死去